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2013年1月のレヴュー更新(まとめ)

まさかの、のんべんだらりの更新、大変申し訳ございません!定期的に訪問して頂いている方には、頭が下がるばかりです!読書のほうはそこそこに進んでいるのですが(著名作家のライトノベル及び村上春樹作品)、ただ今、師走のままの時を過ごしております。3月以降に本格復帰出来る予定なので、それまで、散発的な更新で失礼致しますm(-“-)m

●電撃文庫●
電撃文庫:多摩湖さんと黄鶏くん/入間人間 (2010)
電撃文庫:電波女と青春男/入間人間 (2009)
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文章力ランキング:ライトノベル級(随時更新中)

大衆小説の文章力ランキング、それと合わせた文章力ランキングP4P版も作成中。文章力って何だよ(笑)と突っ込まれ、知らねえよ(笑)と返すのもなんなので、私の思う「巧い」作家を羅列してみます。「夏目漱石」「三島由紀夫」「三浦しをん」……ここに「佐藤亜紀」を並べると良い用心棒になってくれるんでしょうけど(彼女の二つ名はthe “Untouchable”を予定)、柔軟性に欠けるのが玉に瑕かな、と。まあ、所詮は個人の意見なんだし、気にしないでや!画像をクリックして頂ければ、著者の作品レヴューに飛びます。

**お断り**

ランキング自体は出来ているのですが、いざ書こうとしたら読み足りない部分が出てきたので自分のなかで確定したらその都度、Twitter上でつぶやきます。奇特にも、更新したら教えろや!という方は【RT感謝】リストを作ってありますので、リストに入れろや!とリプライください。更新の度にお知らせします。また、当然ですが、私の読書量が増えるとランキングも変わります。


● ライトノベル級 ●
第1位 秋山瑞人 : the “JOKER”

イリヤの空、UFOの夏〈その2〉
ライトノベルに「最強」の華を手向けた後、行方はようとして知れず……気まぐれに戻って来ては、ファンに<あの夏>を思い出させる、在るはずの無い53枚目のカード「JOKER」。『イリヤの空 UFOの夏』。ただこの一作で、曖昧な文章力なるものの優劣、その議論に終止符を打てるのは何故か?それは読んだ貴方が自分の納得する言葉で答えを出せば良い。ただ、参考までに言わせて頂ければ、私は文章なるもののゴールを<五感>と置く。視覚、聴覚、触覚……味覚、そして、嗅覚。五感を描けて、初めて「巧い」のだ。『イリヤの空 UFOの夏』、ここには眩しい夏がある。煩い夏がある。混み合う学園祭がある。のどを詰まらせる早食いがある。……ところで、夏って匂いがあるのだろうか?あるんじゃねえかな、読んだらあったから。2巻における学園祭は、もはやライトノベルの枠を超えた伝説的場面。必読。


第2位 冲方丁 : the “Gonzo” Egoist

マルドゥック・スクランブル
その筆致を表すなら、傲慢、この一言に尽きる。第1回スニーカー大賞の受賞者ながら、SF界隈での評価が高い冲方丁。ライトノベルに収まらないそのスケールを支えるのは豊富な語彙、偏執的な文化造詣であり、そこに執拗な言葉遊び、時に造語を施し、オノマトペをただのオノマトペに終わらせない「技」さえ添える。とどのつまり、<怪物>である。代表作に挙げられる『マルドゥック・スクランブル』を前にして問われるのは、著者への絶対の“恭順”だ。読み手には唯一その選択肢しか用意されていない。《付き合わされる》感覚。物語に必然性の無い場面、展開、―――知識。物語を編むために知識を得るのではなく、己の知識を見せびらかすために冲方丁は物語を編む。しかし歪んだこの事実さえ、その怪物的筆致は覆い隠す。並外れたエゴイスト。読み手を“蹂躙”する技巧を持つ唯一無二の作家だ。


第3位 虚淵玄  : the “RETURNER”

アイゼンフリューゲル
虚淵玄という作家は他の作家とは違うベクトルの上に立っている。時に重厚過ぎる嫌いこそあれ、彼の作品にはどれも読み手に居住い正させる格調がある。「正統派」。彼の綴る文章を読み進めていくうちに頭を過ぎるそんな言葉は万人に共通するものではないだろうか。しかし、そもそも文章における「正統派」とは何なのか?そのジャンルにおける古典より語彙を培い、自作品に還元すること?書き手と読み手を棲み分けることのない人称、三人称を採用すること?あるいは、……と、何を以って正統とするかに答えは出せないだろう。だが、《言葉の再生》―――辞書に葬られた使い手無き言葉が蘇る奇跡を前にしたとき、人は襟を正すはずだ。虚淵玄のその筆の最大の特徴は、《語彙》そのものなのである。葬られた言葉を掘り起こし、息吹を与える。そんな再生を執り行う「異端」の作家。それが、虚淵玄なのだ。


第4位 入間人間 : (まだ秘密)

電波少女と青春男


(ただ今、ランキング剥奪中。詳しくは、【文章力ランキング:ライトノベル級/次点】記事参照)



第5位 川原礫 : From the New World

アクセルワールド
一介のオンライン小説家から一躍、ライトノベル界のトップランナーの一人となった川原礫の個性は当時代的題材と云えるオンラインゲームをテーマとしていること、何よりライトノベル特有の華である「戦闘描写」に長けていることだろう。「戦闘描写」に必要なものを挙げてみると、語彙、構成、高揚&焦燥の心内描写、裂傷を始めとした現在進行の外見描写……と同時進行の処理が求められ、ただ「描ける」だけでも作家としての力量を評価せざるを得ない。川原礫はアマチュア時代から飛び抜けた描写力があり、デビュー後も変わらず、よく出来ている。しかし、私が評価したいのは『アクセル・ワールド』で見せた作家としての成長部分。登場人物にコンプレックスを抱かせたことで、吐露に論理の飛躍を見た。ライトノベルの一人称を次の段階に上げられるか。やや狭い作風が邪魔をするが、注目している。


第6位 支倉凍砂 : 女衒 -ZEGEN-

狼と香辛料2
デビュー作にして代表作となった『狼と香辛料』。その2巻冒頭、馬車に揺られながらホロが自慢の尻尾の毛づくろいをし、丸まって寝る……これこそが支倉凍砂、彼の作家としての真骨頂である。<商い>に焦点を当てた未知のファンタジーを開拓したことが何よりもクローズアップされ、氏の作家としての「巧さ」は作品のテーマに基づいて資料を咀嚼し、物語に編み込む……そんな器用さにまとめられてしまうかもしれない。だが、それだけでは凍土と化したファンタジー分野に一大セールスを呼び込むことは不可能だ。『仕草』、である。支倉凍砂は、何気ない『仕草』こそ描写する。ファンタジーに最も必要な、読み手に親近感を湧かせる手段として。読み手を引っ張る戦闘描写と相反する、読み手を留める技巧。騙されてはいけない、支倉凍砂は決して無駄な描写をしない。『仕草』の意味を知る数少ない作家。


第7位 奈須きのこ : the “Alchemist”

空の境界
直喩と隠喩……比喩に比喩を重ねるその文体を、「単なる」悪文と見做すのは早計だろう。この悪文は、「新しい」耽美主義の文体と捉えるべきだ。二十世紀末の日本に突如として現れた比喩の錬金術師、奈須きのこ。ヴィジュアルノベル『月姫』での異例のヒット、そこからの活動展開はある種の目撃者感覚も手伝い、一大ムーヴメントを巻き起こした。しかし、近年はその評価も落ち着き、超絶技巧と持て囃された文体はともすると、駄文、悪文の用例に引かれるまでに墜ちている。それは至極真っ当な意見であり、的外れな意見でもある。処女作『空の境界』。ここに刻まれた文章は概して隠喩で描かれる耽美主義作品にとってのエポックメーキング、新機軸なのは間違いないからだ。それだけに、奈須きのこには大いに失望もしている。速筆。処女作以降の作品群は、己の筆への酔いが見える。停まれ、と助言したい。


第8位 九岡望 : (首都高にいた)噂の男

エスケヱプ・スピヰド
元より備わっていたのか、研鑽の上で体得したのか。デビュー作ながらに『時』を操ってきた電撃文庫の大型新人・九岡望。ライトノベルの戦闘描写を思い浮かべれば、そこに《速さ》が介在することを実感出来るだろう。そして、速ければ速い程、面白く感じてしまうことも。しかし、描写における最速とは最遅であることをほとんどの作家は気づけていない。『エスケヱプ・スピヰド』。《速さ》を表題へと掲げたように、九岡望は最速を目指した。その過程で、最遅へと到り、そこへ挑んだ。コマ送りの描写が連れて来るものが何なのか。この問いに答えられたとき、戦闘描写の極意はすでに貴方の手の中にあるだろう。時に、一点。九岡望は、《萌え》を描けない、とそれが自らのブランドのように言及している。勘違いしてはいけない、……描けないのは恥ずかしいことだ。本物の技巧を彼はまだ修められていない。


第9位 有川浩 : Merchant of Death

図書館戦争
有川浩がライトノベルと大衆小説のクロスオーバーの先駆者に成り得たのは、己の嗅覚を生かした題材の選定、そして、出し惜しみない《死》という事象を扱っている点に他ならない。自衛隊、阪急電車、フリーター、県庁……およそライトノベルで取り上げられない題材を素材そのままに採用し、それを「オリジナリティ」と置く。その味付けに足すは「喪失」。これが有川浩による創作術の必勝パターンである。あざといのは「喪失」の極論である《死》の扱い。《死》とは描けたか否か、その是非を問わず、その事象だけで物語となることをこの作家は知っている。コミカルな喜劇からの「転」にはいつも死の合図が待つ。代表作『図書館戦争』は、日常を死と隣り合わせた有川浩のセンス「FULL」な一作。賛否招く恋愛描写は人生経験の不足を体現しているが、題材選定の嗅覚は未だ倣うべき価値を保っている。


第10位 古橋秀之 : “Black” Magician

ある日、爆弾が落ちてきて
《描写》という意味での文章の技巧よりも、造語、当て字を用いた作品世界の演出に長けている印象が強い古橋秀之。SF作家とさえカテゴライズされるそのキャリアの上で、おそらく生涯、氏の異端の作品として取り挙げられ続けるだろう短篇集『ある日、爆弾が落ちてきて』こそ己が筆への矜持見せた一作。真逆の文体。極めて平易な文章は、「あれしか出来ない」「あれしか書けない」「ライトノベル作家ではない」、そんな揶揄を向こうに回す挑発的なもので、癖のない登場人物たちは、「1」アイディアで非日常が演出出来ることを知らしめる。とどのつまり、「俺は何でも書ける」と宣言する野心的な作品で、終章は一転、《描写》に重きを置く。その最中に繰り出す「時の加速」場面は奇術中の奇術と云える、絶技の出来。同窓、同門の後輩・“JOKER”秋山瑞人への挑戦状と謳っても過言とならないだろう。圧巻。


第11位 桜庭一樹 : ~ 風味絶佳 ~

私の男
ライトノベル作家は当然、ライトノベルを読んでその文才を育む。故にデフォルメされた台詞、行動が知らず培われ、非常に絵になる、「分かり易い」作風を獲得する。―――自制心、精神論になってしまうが桜庭一樹の筆にはそれが宿って見える。ライトノベルと大衆小説の「書き分け」が出来ること。それが桜庭一樹の最大の特徴と言っていい。「所詮」ライトノベル、「もはや」大衆小説。ライトノベルと大衆小説のクロスオーバーが進む現在、それに該当する作品を振り分けてみれば、その二つに収まる。ライトノベル特有のキャラクター色を薄め、物語を綴る桜庭一樹のアプローチはまさに後者、「もはや」大衆小説と呼ぶに相応しい。それが結実したのが『赤朽葉家の伝説』と思われたが、そこを乗り越えた直木賞受賞作『私の男』には舌を巻いた。デフォルメを必要としないライトノベル作家がここにいる。


第12位 柴村仁 : The Wandering ...

プシュケの涙
さまよえるユダヤ人、さまよえるオランダ人と並ぶ、ライトノベル界のさまよえる作家・柴村仁。彼女こそライトノベルが蔓延ることによって「彷徨う」定めとなった典型的な作家と云えるだろう。デビュー作の選考においてキャラクター造形の称賛とともに構成の難を指摘され、そこから興と不興、ニーズとのギャップに苛む、長い受難の旅が始まった。人には向き、不向きがある。そして、その観点に立てば、柴村仁はライトノベルを書くことに向いていなかった。ライトノベルと云えば<戦闘>である。しかし「戦闘を介さない」ヒューマンドラマこそ柴村仁の筆が躍動する戦場である。起死回生の一作となった『プシュケの涙』を、ライトノベルと括る理由は何なのか?その筆はライトノベルで育てられたのかもしれない。だがライトノベルであることを諦めたとき、辿り着く境地がある。有川浩を優に超える逸材。


第13位 ――― : (まだ秘密)



第14位 河野裕 : Re : 御旗のもとに

サクラダリセット
課せられたのは、三人称の復権―――現代のライトノベルを浄化せんと、グループSNEから放たれた刺客・河野裕。「個」を突きつめ、ともすると激情のみを是とする風潮に倣った一人称は、ライトノベルの象徴的な書き口として挙げられると思うが、逆に云えば新味のない「紋切り型」と切ってしまえなくもない。多様性。昨今のライトノベルに欠けているソレは、間違いなく人称の偏りに関係している。ライトノベルにおける三人称の衰退は、一人称と比して、読み手の感情移入の浸透度が低いことに起因している。しかし、三人称には三人称の強みがある。それは、風景を描いての登場人物の心象の演出……いわゆる、「雰囲気」を演出出来ることだ。代表作『サクラダリセット』シリーズにおけるアンニュイな漂いは、00年代に忘却されたライトノベルのAnother Side。00年代仕様となった三人称の神髄をここに学べ!


第15位 水野良 : Dinosaur of Rhodes

ロードス島戦記2 炎の魔神
一人称の流行……そこから端を発する描写の変容、至る簡略化を是とした潮流。歴史浅い<ライトノベル>というジャンルの性急なまでの変遷に、いつしか取り残されたダイナソー―――それが水野良、“本来”の文体である。翻訳ファンタジーで培ったであろう豊富な語彙、節回し。酒場を始めとした人の入り乱れる「公共」場面。特筆すべきは多対多、名も無きキャラクター同士の乱戦を描ける点だろう。果たして、個人を描くことに特化した「今」の作家がソレをどこまで描けるだろうか?富士見ファンジア文庫のToxic Twinsに毒される前、恐竜が恐竜として闊歩した『ロードス島戦記2 炎の魔神』を見よ。折り込まれる幾多の細かい「転」開は作家としての能力の高さが滲む。ロードスという呪われた島がある。昔、三人称の恐竜がそこに「いた」。


第16位 中村恵里加 : “Hate”breeder

ソウル・アンダーテイカー
『主義』を持つ作家は稀だ。それはライトノベルはおろか大衆小説、昨今の<文学>にカテゴライズされる作家においてさえ指摘出来ることでもある。“人間嫌い”―――これが、中村恵里加が手掛ける作品に根付いている『主義』である。そこにブレはなく、そうと解ればその凄味は日常場面にこそ反映しているのが分かる。ヒロインを白痴に据えた『ソウル・アンダーテイカー』はその最たる例だろう。序章で謳っているように実質、最後まで物語は始まっていない。では、同作で何が描かれていたのかと云えば、白痴だからこそのヒロインの無知な善性、そして、彼女を囲む関係者の後ろ暗い憐憫、名も無き無関係者たちの露見する悪意である。白痴に意志は無く、故に周囲の思考/行動が残酷なまでに際立つ構造は、見事という他ない。語彙、表現、共に不足無し。しかし、『主義』を作品に出来る点が何よりも価値高い。


第17位 あざの耕平 : 摩天楼オペラ

Black Blood Brothers 7
シリーズ作品の緩やかなストーリー展開から「スロースターター」と揶揄にも近い評価をされるあざの耕平。しかしながら、それはまったくの見当違いだ。シリーズの、ストーリーのピークを定めた上であざの耕平は創作している。シリーズを通しての起承転結、エンディングへ向けての逆算的アプローチ。これこそがあざの耕平の作家としての最大の特徴と云えるだろう。代表作『BLACK BLOOD BROTHERS』の7巻、冒頭より「始まる」ピークは初見の読者さえ巻き込まれるだろう著者の集大成。すべての登場人物たちが信念を抱えてぶつかり合う様は、まさにクライマックス!と称えざるを得ない。しかし、遠大な視点とある種の過信によって成立するこの大構成は、ボタンを掛け違えば、セールスの不振を招いて脆くも崩れる危ういもの。「スロースターター」、その誤解にも真実があることを忘れてはならない。


第18位 渡瀬草一郎  : 国漢の二松の徒

陰陽
ある特定の時代を演出するために必要なのは勿論、その当時代に関する「知識」である。これが用意出来なければ始まらないのは間違いない。しかしその必要不可欠な知識を詰め込み、いざ作品へと落とし込むなかで、忘れがちになる意外な盲点―――それが、登場人物たちの台詞回しである。ここに気を配っている作家は実に少ない。それというのも、差し迫った演出の必要性が無いからだろう。事実、下手に導入すれば扱い切れずに空転し、読み手の妨げにすらなり得る。リスクマネジメントの観点から鑑みれば、台詞に工夫を凝らさずとも良いのだ。だが、そのリターンは大きい。『陰陽ノ京』シリーズにおける「雅」な雰囲気は、巷に溢れる陰陽師作品と一線を画す。その「雅」の源泉は当時の風俗を描き切ったことにあるのは確かだが、次いで「」に封じられた高等な微細があることを確認して頂きたい。


第19位 山形石雄 : Neo Fantasista

六花の勇者
ライトノベル作家においてその文章で特異な位置を築くことはあっても、作品の「構成」で己の<個>を成立させる作家は山形石雄をおいて他にいない。氏が象るその構成はまさに変態と呼ぶに相応しく、起承転結だけで語ろうとすると、どうしても言葉に詰まってしまう。その理由は何なのか?答えはキャラクター、読者の先入観を逆手に取り、キャラクター(設定)そのものを構成の一部として取り扱っていることに起因する。勝負作『六花の勇者』を例に取れば、作中世界で勇者は「6人」現れる、しかし、「7人」集まる。これを面白いと感じてしまうのは大前提で、RPGなりで「勇者は一人である」という認識が根づいているからだ。勇者が一人多いことが面白いのではない。山形石雄の作風を追うには理論だけでは賄いきれない。有り得ない「魅せる」構成力。彼をファンタジスタと呼ばずして、何と呼ぶ?


第20位 西尾維新 : Faust-call Writer

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い
貴方が中二病を罹患してしまったとき、イの一番に電話を掛ける(First-callする)相手……それが、西尾維新である。キャラクターを極端にデザインすること、そのキャラクターを介し言葉遊びに興じることが特徴に挙げられるが、それらは時に戯れが過ぎて展開の邪魔にさえ感じることがある。自らのアイディアを優先してのその選択は、アマチュア、と捉えられなくもない。「描写」という観点では特段凄味は無く、一文、一場面の美醜もあえて取り上げたくなるものは少ない。しかし文章の「方法論」、その引き出しの多さは讃辞に値する。一例には、デビュー作から披露される語り手による<自問自答>を挙げよう。「答」部分は、必ずしも正解である必要がないのが醍醐味だ。文章には「技」「巧」がある。西尾維新は「技」のみを追求する。故に異端なのである。


第21位 秋田禎信 : “背徳”の継承者

我が過去を消せ暗殺者
『断言』出来るが、現在のライトノベル作家で秋田禎信に影響を受けていない作家はいない。あるいは、彼の作品を読んだことはないかもしれない……だが、彼以外の作家をロールモデルとしても、そのロールモデルとしている作家は間違いなく『秋田禎信』を経由している。それほどまでに革命的だったのだ、《自己否定》をする主人公は。《自己否定》をするからこそ一人称が発展する、発展出来る。もっとも、秋田禎信自身は三人称を採用している。これが意味することは何か?そう、彼はライトノベルにおける人称の改革者などではない。むしろその逆、確かな語彙を求める旧文体の継承者なのである。しかし、彼は水野良のように時代に取り残されることもなく、時々に応じて人称を使い分けている。作家として器用なのだ、それもズバ抜けて。《自己否定》の教科書として、はぐれ旅の5巻を挙げておこう。


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